クラシック始めました

クラシック初心者がクラシックを発見するブログ

四季/ヴィヴァルディ

 

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 ナージャー・ソレルノ=ソネンバーグ指揮、セイント・ルカ教会管弦楽団の演奏

このブログを真面目なクラシック音楽のレビューサイトだと思って開いてくれた人には真に申し訳ないのですが、知能ゼロの感想を書きます。

給食を思い出す。小学校の時の給食の時間に絶対この『四季』が流れてた。間違いない。もう味とか香りまで思い出すくらい。アルミのお椀に入っていたクラムチャウダーやカレー、コッペパン、苦手だったほうれん草、鮮明に覚えてる。三つ子の魂百までとはいうけれど、こんなに音楽と記憶って結びついてるものか。自分の記憶力にちょっと自信もった。最近なんだか忘れっぽいなと思っていたけれど、まだまだ大丈夫な気がする。
思うに、音楽教育って楽しい思い出とセットにしてあげるともっと印象深くなるんじゃないかなあ。音楽の授業ってあんまり覚えてないですもんね。

改めてちゃんと聴くと、ホントにヴァイオリンの為にある曲だよなーと思います。ヴァイオリン協奏曲って書いてあるんだから当たり前でしょうけど。「研ぎ澄まされた音」って表現があると思うんですけど、ボウイングで繰り出されるその音はまさに「研ぐ」音だという感覚があります。

ライナーによると、ナージャー・ソレルノ=ソネンバーグさんはアメリカの女性ヴァイオリニストでこのCDでは指揮だけでなく演奏もなさっているとのことです。演奏家が指揮もすることがあるのですね。はっきりと分業なのかと思ってました。

今回聴いたのは
アントニオ・ヴィヴァルディ
・協奏曲第一番 ホ長調 春
・協奏曲第二番 ト短調 夏
・協奏曲第三番 ヘ長調 秋
・協奏曲第四番 ヘ短調 冬

チューナー

 ヴァイオリンはフレットレスの楽器なので正確な音程を出す為に練習を重ねるわけです。が、自分のような、ぼんくらヴァイオリン入門者は音感というものがないので、正確な音が出せてるかどうかが分からない。なんとなくずれてるかなと思う時もあるけど、いけてるやんと思っててもずれてる時もある。

で、どうするかというとチューナーを接続して音を確認するわけです。C#を押さえて、その音がずれていないか指の位置を確認するわけですね。音感があれば、ずれていて気持ち悪い、と思うところを機械に頼るわけです。テクノロジーって素晴らしいです。

ただ、単音で指の位置を確かめても弾いている内にずれてしまう。ゆーっくりでもよいから曲を弾いている時に、音が合ってるか見られたらいいのになあと思ってました。でも手持ちのチューナーは反応が遅くて無理だったんです。開放弦でもキコキコと数回弾かないと反応しないくらいでした。

 反応の早いチューナーはないものかと思って楽器屋に行って訊いてみると、高いものは反応が良い、ということだったので頑張ってこいつを買ってきました。

KORG TM-50TR。5,000円ちょっとしました。

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 使ってみると確かに反応が早い。曲を練習する時でも一音一音がD、F#、C#とすぐ表示される。反応が良すぎてインジケーターの動きがちょっと慌ただしい気もするけど慣れればどうってことないんじゃないでしょうか。尚且つ偉いのは、チューナーを使いながらメトロノームも鳴らせるんです。以前使ってた奴はどちらかしか使えなかったので凄く便利。良い買物をしました。

ツアラトゥストラはかく語りき/R・シュトラウス

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グスターボ・ドゥダメル指揮、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏

『ツアラトゥストラはかく語りき』この曲のイメージはスタンリー・キューブリック監督の映画『2001年宇宙の旅』です。宇宙の広大さを表すシーンで流れていたように記憶しています。でもその部分って序奏の部分だけだったんですね。あの宇宙的イメージは最初だけだったんだということを改めて知りました。ニーチェは読んだことがありません。

ライナーにも“一種の幻想曲である”と書かれている通り幻想的なイメージを想起させます。それがキューブリック監督が自作にこの曲を使わしめたということなのかも知れません。
「幻想的」なんて一言で済ませているけれど、そのイメージは具体的な何か、物のイメージを描ききれないということかも知れません。ベートーベンの『田園』なら田園風景を思い描きながら聴くような、そういう具体的なイメージを思い浮かべるような具体的なものではない。でもだからといってつまらないわけじゃない。曲を聴いてそのイメージに酔えばいいし、それは「幻想的」という言葉でしか表せられない。

ポップミュージックというものの内、歌ものというのは歌詞があるわけで具体的なイメージが既に提供されてるんですよね。恋の歌が氾濫している歌謡界ですが、恋の歌を聴いて、この曲は孤独をイメージした音楽だという像をを思い描く人はいないわけで、作詞者によってイメージが固定されている。
音楽、歌ものを聴いて歌詞が良いという評価があって、それは間違ってはいないと思うんだけれど、ちょっと捻くれた物言いをするなら、それなら曲をBGMにして朗読しても同じじゃないのって思うんですよね。音楽は詩のBGMじゃないはずだから。歌唱の魅力というものは大きいのでそんな言い方は理不尽なのは分かってんですけど。
インストの曲が聴けないとか、洋楽は歌詞が分からないからつまらないという物言いは、歌詞というイメージの案内がないと音楽を楽しめない貧しさのような気がするんです。

音楽は聴覚による快楽なので具体的イメージが提示されていないからといって迷う必要もないし、何か決まったイメージを描かないと間違っているというものでもないんですよね。正解があるわけじゃないから。ただ音を楽しめばいいから。音に酔えばいいから。
作者にすればその感想はちょっと違うかも、という場合はあるだろうけど、一度音が放たれたら後は聴衆がどう捉えるかは自由だと思うんです。

なんだか話が脱線しました。

今回聴いたのは
■R・シュトラウス
交響詩 ツアラトゥストラはかく語り op.30
交響詩 ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら op.28
交響詩 ドン・ファン op.20

ヴァイオリン教室19回目

今週も行ってまいりました。課題曲もスケール練習もまずまずだと思って臨んだのでしたが、今後のレッスンスケジュールを確認してなかった。次は3週空くんですよね。ということはちょっと課題が多めにでるわけでその部分の予習をしてなかった。とんまです。まぬけです。ひとつのことに気をとられていたら他のことが疎かになるという今の自分の奏法と同じです。しまった。

あとですね、新しい課題曲も練習していったんです。1週目にしては結構俺いけてるやん、くらいの自信があったんだけど、楽譜を読み間違ってるところが複数あった。D線でF#を弾くところをE線でF#弾いてたりとかね。五線譜を見たらちゃんと下がっとるだろうが、と自分を叱責したい感じ。先生が穏やかな人で本当に助かります。怒られたりしたらもの凄くシュンとなるタイプなので。

3週空くので余裕かまさないできちんと練習することを心がけよう。でも一篇に色んな課題に取り組むとなんだか混ざって覚えられないんですよねー。まあ頑張ります。

悲愴/チャイコフスキー

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ワレリー・ゲルギエフ指揮、ウィーンフィルハーモニー管弦楽団

『悲愴』という曲名ではあるけれど悲しみだけを描いてるというものではないんですね。壮大、雄大な部分もあって悲しみ一辺倒ではない。その悲しみを感じさせる部分もあくまで『悲愴』であって『悲惨』ではない。悲しいけれど美しく優雅。

悲しみを壮麗かつ優雅に描き上げた曲だと思います。悲しさを美しく描き上げたもの。
悲しみって明るい感情ではないんですよね。基本的に味わいたくない感情のはずだから。でもそれを疑似的に体験したいという欲望はある。恐怖でさえホラー映画や遊園地の絶叫マシーンなどで体験したいという気持ちがある。
そしてその疑似体験は、安全な場所からの体験でないといけない。だから芸術や芸能にそのような表現があると思う。
演歌などで描かれる悲しみは男女の別れなどが主題のものが多いけれど、美しさとはちょっと違うかな。こんなに悲しいんですよ、って見せつけるような感じ。お涙頂戴と言ってもいいかもしれない。それが気分的にはまる時もあるので否定するつもりはないけれど、濡れた感情をそのまま提示するような感じかな。
クラシック音楽の目標、というか命題が音楽による美しさの表現にあると思うので、この曲も美しい。悲しみには濡れた情感がつきものだけれど、純化して乾いていてそれゆえに清廉で高潔な曲だと思えます。

第二楽章を聴くと「あ、ワルツだ」と思ったのですが、3拍子ではないような。ライナーを読むと5拍子だそうです。5拍子はワルツって言わないのだろうか。3拍子だけがワルツ?

今回聴いたのは
■ペーター・チャイコフスキー
交響曲 第六番 ロ長調 op.74 『悲愴』

ヴァイオリン教室18回目

今週はですね、レッスンがあると思ってなかったんです。来週だと思って余裕かましてました。朝、スマホのスケジュールを見たら「ヴァイオリンレッスン」ってなってて、え?今日だっけ?来週じゃなかったっけ?って慌ててレッスンの時間までに2時間くらいキコキコやってましたが、慌ててやったからってどうなるもんでもないです。楽器は日々の鍛錬。

で、どうだったかというと、まあまあ。一応毎日練習はしてて、今回の課題はいけそうという感触は持ってたんですよね。なので慌てふためいていた割にはまあまあ。やっぱり楽器は日々の積み重ねが大事です。
ただ次の課題の予習をするところまでいってなかったんで、楽譜を初見で弾けるはずもなくその点については撃沈しました。そこはしゃーない。

課題曲を何週にも渡ってやってるんですが、移弦の時に他の弦の音が鳴ってしまうというのがクリアできてないんです。弓を弦の上に乗せたまま音を出さずに移動するんだけど慌ててしまうんですよね。ゆっくり練習したり、弦に押さえつけて移動したり、はたまた力がかからないようにしたりと工夫してるんだけど中々治らない。練習ではその部分だけはうまくできても曲を通して弾くと慌ててしまって。先生からも指摘とアドバイスはあるんだけどなかなか。
ネットで同じ悩みがないか検索してみると某知恵袋に「3年やってるけど移弦がうまくいかない」というお悩みがありました。3年やってても難しいのか、だったら俺はまだできなくても大丈夫だなー、と一安心。安心するのはちょっと違うか。

ヴァイオリン教室17回目

今週は和音の課題を徹底的に練習してのぞみました。その他の課題はちょっとおざなりになったけど、苦手としてるものなので徹底的にやりました。
その甲斐あって和音の課題はまあまあいいでしょう的な感じでしたね。練習の成果ありです。先生、もう少し褒めて下さってもいいですよ。

なので他の課題は、まだ頑張りましょうでした。まあ、分かってたのでそれほど気落ちはないです。

弦楽五重奏の演奏を聴きに行きましたという話をしたら「難しいのを聴きに行ったんですね」とのこと。演奏者の側からすると難しいらしいです。確かに凄テクに見えましたから。
翻ってオーケストラの一員での演奏は難しい部類じゃないんかなと思い、沢山いるから一人くらい間違えても誤魔化せるみたいなことでしょうか?と思ったけれど、それは先生には言いませんでした。おかしなこというおっさんだなと思われても困るので。