クラシック始めました

クラシック初心者がクラシックを発見するブログ

ヴァイオリン曲集/J.S.バッハ 

以前先生にお勧めヴァイオリニストとして紹介して頂いたパールマンの演奏によるバッハです。 

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パールマンだから良いとか悪いとかいうのは分からないんです。その辺りはもっと耳が肥えてきてからかな。演奏者の個性を感じられるのは百万光年くらい先の話だと思います。
バッハはバロック、古典派に属するということを付け焼刃の知識で身に着けていて、じゃ聴いてみましょうという感じです。

うーん。なんだか古典っぽい感じがする。そう言われてるからそう感じるだけでしょう。でも古い感じがする。なんだか人間の本性というか原感覚が剥き出しになってるような気がするんですけど。良い意味で原始的で野性的な感じがする。こうすれば聴衆に受けるというテクニックの洗練を受けていない感じがする。多分に「古典派」という言葉に影響されているだけだと思います。

全て「古典派」という言葉に惑わされていると云えばそうなんですが、クラシックって凄い知識が多いじゃないですか。作曲家の生い立ちから歴史みたいなのとか、演奏者の波乱の人生みたいなのまで。その歴史という背景がある。

音楽を聴くのに、基本的には音楽家の半生なんて関係ないと思ってる方なんです。楽曲だけで好きか嫌いか判断したい。何も知らないで聴けるならその方がより正しい判断ができると思ってる。
ロック雑誌なんかでミュージシャンの半生をインタビューでほじくり出して劇的に演出するようなの嫌いなんです。苦節何年なんて演歌だと思うんで。(演歌はそれ込みでエンタメだからいいんです)

でもクラシックは歴史が背景にあって、それも一緒に聴くことになる。まだまだ知識不足ではあるけれど、その内知識は増えてくる。本当は何も知らない状態で聴きたいけど、そうとばかりは言ってられない。それなら逆に音楽と背景の知識も一緒に楽しんだ方がいいのかなという気持ちに最近はなっています。

でも基本的には音楽が主役だから劇的な生涯に惑わされないようにとは思うけど。

ヴァイオリン教室21回目

駄目でした。朝から今日は精神的な調子が悪い日だという実感があった。動悸がしてずっと緊張して不安がこびりついている感じ。完全に精神の不調のサイン。思い当たるふしがないこともないので仕方ないけれどやはり辛い。

レッスンでも全く駄目だった。練習で、できているレベルのことができない。先生は全然練習ができてないとお思いになったんじゃないだろうか。辛い。

なんだか発表会というものがあるらしい。今日の精神状態ではそんなことは考えられない。即答で拒否りました。辛い。

ヴァイオリン名曲集/シベリウス

フィリップ・ネーゲル(Vn)、ギュンター・クリンガー(Pf)の演奏 

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ピアノの演奏者の記載に「Klavier」と書いてあって、何じゃこれは?と思ってググるとドイツ語でのピアノってことらしいですね。初めて知りました。

何だかヴァイオリンで物語を語っているような感じです。朗読CDなんかで朗読の声と伴奏があるような感じ。ピアノが伴奏でヴァイオリンの音はお話を語りかけているようで、何かの言語のような感じがします。今まで音楽を聴いていて楽器の音色をそんな風に感じたことはありませんでした。でも音楽も何かのイメージを伝えるものなので、ある種の言語なのかなーみたいなことを感じてしまうのでした。

シベリウスは『ヴァイオリン協奏曲』というのが有名なのですね。聴いてみねばなるまい。


今回聴いたのは
シベリウス
・ノナチネ ホ短調 op.80
・四つの小品 op.78
・三つの小品 op.116

ヴァイオリン教室20回目

3週間ぶりのレッスンでした。雨ニモマケズ台風ニモマケズ3週間1日も欠かすことなく練習してまいりました。で、どうだったかというとちょっと褒められました。うーん、先生は生徒をのせるのがうまいですね。簡単にのせられました。

とは云え御指摘がなかったわけではなく、やはり音がちょっとずつずれてる。調子良く弾いてるつもりになってるときほどずれてる。傾向としてはすこしずつ高くなってる。これは毎回指摘されていて、それを治す為にもチューナーで音を確認しながら練習してるんですが、いけてると思ってる時ほどずれてる。慢心はいかんということでしょうか。

課題曲は「まあいいでしょう」的な評価で丸を頂き次の課題曲に進めることになりました。
自覚はあるんですけど、課題曲によって楽しい曲とそうでない曲ってあるんですよね。難しいけど何とかやってやろうと思う時もあれば、やってても「何か楽しくない」と思えるのもあってムラがある。その違いは弾けるようになったら楽しいだろうなと思えるかどうかの違いのような気がします。弾けるようになると「おー俺意外といけるやん」と思えるのがやる気のでる曲です。こういうことは先生には絶対言いません。どの曲にも真面目に取り組んでおります、という顔をしています。ここだけの話

四季/ヴィヴァルディ

 

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 ナージャー・ソレルノ=ソネンバーグ指揮、セイント・ルカ教会管弦楽団の演奏

このブログを真面目なクラシック音楽のレビューサイトだと思って開いてくれた人には真に申し訳ないのですが、知能ゼロの感想を書きます。

給食を思い出す。小学校の時の給食の時間に絶対この『四季』が流れてた。間違いない。もう味とか香りまで思い出すくらい。アルミのお椀に入っていたクラムチャウダーやカレー、コッペパン、苦手だったほうれん草、鮮明に覚えてる。三つ子の魂百までとはいうけれど、こんなに音楽と記憶って結びついてるものか。自分の記憶力にちょっと自信もった。最近なんだか忘れっぽいなと思っていたけれど、まだまだ大丈夫な気がする。
思うに、音楽教育って楽しい思い出とセットにしてあげるともっと印象深くなるんじゃないかなあ。音楽の授業ってあんまり覚えてないですもんね。

改めてちゃんと聴くと、ホントにヴァイオリンの為にある曲だよなーと思います。ヴァイオリン協奏曲って書いてあるんだから当たり前でしょうけど。「研ぎ澄まされた音」って表現があると思うんですけど、ボウイングで繰り出されるその音はまさに「研ぐ」音だという感覚があります。

ライナーによると、ナージャー・ソレルノ=ソネンバーグさんはアメリカの女性ヴァイオリニストでこのCDでは指揮だけでなく演奏もなさっているとのことです。演奏家が指揮もすることがあるのですね。はっきりと分業なのかと思ってました。

今回聴いたのは
アントニオ・ヴィヴァルディ
・協奏曲第一番 ホ長調 春
・協奏曲第二番 ト短調 夏
・協奏曲第三番 ヘ長調 秋
・協奏曲第四番 ヘ短調 冬

チューナー

 ヴァイオリンはフレットレスの楽器なので正確な音程を出す為に練習を重ねるわけです。が、自分のような、ぼんくらヴァイオリン入門者は音感というものがないので、正確な音が出せてるかどうかが分からない。なんとなくずれてるかなと思う時もあるけど、いけてるやんと思っててもずれてる時もある。

で、どうするかというとチューナーを接続して音を確認するわけです。C#を押さえて、その音がずれていないか指の位置を確認するわけですね。音感があれば、ずれていて気持ち悪い、と思うところを機械に頼るわけです。テクノロジーって素晴らしいです。

ただ、単音で指の位置を確かめても弾いている内にずれてしまう。ゆーっくりでもよいから曲を弾いている時に、音が合ってるか見られたらいいのになあと思ってました。でも手持ちのチューナーは反応が遅くて無理だったんです。開放弦でもキコキコと数回弾かないと反応しないくらいでした。

 反応の早いチューナーはないものかと思って楽器屋に行って訊いてみると、高いものは反応が良い、ということだったので頑張ってこいつを買ってきました。

KORG TM-50TR。5,000円ちょっとしました。

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 使ってみると確かに反応が早い。曲を練習する時でも一音一音がD、F#、C#とすぐ表示される。反応が良すぎてインジケーターの動きがちょっと慌ただしい気もするけど慣れればどうってことないんじゃないでしょうか。尚且つ偉いのは、チューナーを使いながらメトロノームも鳴らせるんです。以前使ってた奴はどちらかしか使えなかったので凄く便利。良い買物をしました。

ツアラトゥストラはかく語りき/R・シュトラウス

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グスターボ・ドゥダメル指揮、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏

『ツアラトゥストラはかく語りき』この曲のイメージはスタンリー・キューブリック監督の映画『2001年宇宙の旅』です。宇宙の広大さを表すシーンで流れていたように記憶しています。でもその部分って序奏の部分だけだったんですね。あの宇宙的イメージは最初だけだったんだということを改めて知りました。ニーチェは読んだことがありません。

ライナーにも“一種の幻想曲である”と書かれている通り幻想的なイメージを想起させます。それがキューブリック監督が自作にこの曲を使わしめたということなのかも知れません。
「幻想的」なんて一言で済ませているけれど、そのイメージは具体的な何か、物のイメージを描ききれないということかも知れません。ベートーベンの『田園』なら田園風景を思い描きながら聴くような、そういう具体的なイメージを思い浮かべるような具体的なものではない。でもだからといってつまらないわけじゃない。曲を聴いてそのイメージに酔えばいいし、それは「幻想的」という言葉でしか表せられない。

ポップミュージックというものの内、歌ものというのは歌詞があるわけで具体的なイメージが既に提供されてるんですよね。恋の歌が氾濫している歌謡界ですが、恋の歌を聴いて、この曲は孤独をイメージした音楽だという像をを思い描く人はいないわけで、作詞者によってイメージが固定されている。
音楽、歌ものを聴いて歌詞が良いという評価があって、それは間違ってはいないと思うんだけれど、ちょっと捻くれた物言いをするなら、それなら曲をBGMにして朗読しても同じじゃないのって思うんですよね。音楽は詩のBGMじゃないはずだから。歌唱の魅力というものは大きいのでそんな言い方は理不尽なのは分かってんですけど。
インストの曲が聴けないとか、洋楽は歌詞が分からないからつまらないという物言いは、歌詞というイメージの案内がないと音楽を楽しめない貧しさのような気がするんです。

音楽は聴覚による快楽なので具体的イメージが提示されていないからといって迷う必要もないし、何か決まったイメージを描かないと間違っているというものでもないんですよね。正解があるわけじゃないから。ただ音を楽しめばいいから。音に酔えばいいから。
作者にすればその感想はちょっと違うかも、という場合はあるだろうけど、一度音が放たれたら後は聴衆がどう捉えるかは自由だと思うんです。

なんだか話が脱線しました。

今回聴いたのは
■R・シュトラウス
交響詩 ツアラトゥストラはかく語り op.30
交響詩 ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら op.28
交響詩 ドン・ファン op.20