クラシック始めました

クラシック初心者がクラシックを発見するブログ

ヴァイオリン教室36回目

最終章の最初は、音符が高い方のFから低い方のFへと続くような移弦が多く左指の動きが忙しい課題。1週間これを重点的に練習しました。1週間しかなかった割にはよく憶えたと自分でも思う。
しかしこの譜面が他の課題をやってる時にもつい混じってしまって、気を抜くと左指が先に憶えた課題の動きになってしまうのです。脳みその記憶容量が少ないからこうなるのでしょうか。
レッスンではテンポを落とせばできるということでもう少しテンポを上げられるようにしましょう、ということでした。

課題曲『花』は苦手な部分を何度も練習したけれど、曲を通して弾くと「もうすぐ難しいところにくるから気を付けなければ」と思った途端に間違うといういつものパターン。もう練習しすぎてこの曲が好きじゃなくなってきた。良い記憶に塗り替えていかないと。

次月は月3回のレッスンの内、所用で2回はお休みしなければいけなくなりそうです。そのことを先生に伝えると、先生は少し残念そうな顔をしておられた気がします。
俺としても月1回のレッスンでは非常に心許ないし、ちゃんと通いたいのです。けれど、生活のためには色々あるのです。仕方ない。

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兵庫県立美術館へ美術展を観に行きました。

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アドルフ・ヴェルフリ(1864-1930)は、アウトサイダー・アートの方です。
アウトサイダー・アートについて少し説明すると、芸術家でない人の作った芸術作品とでも言えばよいでしょうか。欧州で精神病院の患者や受刑者の作品に芸術性が見いだされたものから始まっていて、日本では障害者による芸術作品がそのように紹介されることが多いです。外国では「障害者のアート」というよりは、芸術家を目指したわけでもなく、そのような教育も受けていない人が黙々と製作した作品に美術的価値が認められたもののようです。

ヴェルリフも精神病院に入院していた人で、独自の物語を絵画と共に残しています。

【作品まとめ】異界を旅する人 アドルフ・ヴェルフリ(Adolf Wölfli) - NAVER まとめ

作品を見ていて思ったことは、こういう作品群を作り上げるのは我々が楽器を練習するのと同じなのではないのかなと思ったのでした。

ヴェルフリの作品制作の動機は常に自分の為にある。彼は生前からその作品の価値が見いだされた人でしたが、作品を作ることで芸術の世界で名声を獲得しようだとか、その絵を売って金品を得ようといった目的の為に作られたものではない。(小遣い稼ぎの為に絵を売ってはいたようですが)
全ての動機は自分の世界観を表現することで、それは言い換えるなら、ただ自分を楽しませる為に作品を作り続けていたと言っていいと思う。

自分のような素人で楽器を練習している人間も、なぜそれをやるのかと言えば自分を楽しませる為にやっている。プロになろうとか、誰かに評価されようといったことが目的じゃない。他者のためではなく全て自分のため。特に自分の場合は人前で演奏したいという気が全くない。

アウトサイダー・アートの作品には常人では到底及ばない根気だとか執拗さがあって、そういうものは我々にはないけれどそれは程度の差であって、自分を楽しませる為に何かを作ったり演奏したりするその指向性みたいなものは一緒なのかも知れないなあ、みたいなことを考えたのでした。