クラシック始めました

クラシック初心者がクラシックを発見するブログ

ヴァイオリン教室37回目

前回のレッスンの折に3月はレッスンをお休みしますと先生に伝えたのですが先生から、今度からはなるべく早めに連絡を下さい、というお話がありました。申し訳ないです。他の生徒さんの都合もあるとのこと。いたたまれない。

その動揺があったのか、もう完璧楽勝、と思ってた課題もぐだぐだになってしまった。途中でわけが分からなくなるんですよね。リカバリができないんです。

課題曲『花』はスムーズに弾ける感じではなかったけれど、熱心に練習はしてるみたいですね、ということで○を頂きまして次の課題へ進むことができました。この曲が苦手意識でいっぱいになってたから正直ありがたいです。もう滝廉太郎さえ苦手なレベル。

同じ弦の開放弦で全音符、二分音符、四分音符を全弓で弾くだけという課題があって、どの部分でも音量が一定になるように弾きましょうということでした。これが意外と難しい。全音符の時は弓をゆっくり動かすので小さい音になる。四分音符は早く弓を動かして勢いがあるので音量が大きくなる。どこに気を付ければよいか先生に訊くと「弓を持つ手、指で弓に与える圧力を調整しましょう」ということでした。
そういうことは何も意識してこなかった。ちょっと高度な感じになってきたなと感じます。

俺のレッスンの前には、お試しレッスンでお歳を召した男性が来られていました。先生が「今時の70代は元気ですよね」と仰られていたのでそうなんだと思う。70過ぎてヴァイオリンを始めようなんて凄く格好良い。教室に入る時すれ違ったけれどあの時「ヴァイオリンは楽しいですよ」って声を掛ければよかった。あんな爺さんになりたい。

ヴァイオリン教室36回目

最終章の最初は、音符が高い方のFから低い方のFへと続くような移弦が多く左指の動きが忙しい課題。1週間これを重点的に練習しました。1週間しかなかった割にはよく憶えたと自分でも思う。
しかしこの譜面が他の課題をやってる時にもつい混じってしまって、気を抜くと左指が先に憶えた課題の動きになってしまうのです。脳みその記憶容量が少ないからこうなるのでしょうか。
レッスンではテンポを落とせばできるということでもう少しテンポを上げられるようにしましょう、ということでした。

課題曲『花』は苦手な部分を何度も練習したけれど、曲を通して弾くと「もうすぐ難しいところにくるから気を付けなければ」と思った途端に間違うといういつものパターン。もう練習しすぎてこの曲が好きじゃなくなってきた。良い記憶に塗り替えていかないと。

次月は月3回のレッスンの内、所用で2回はお休みしなければいけなくなりそうです。そのことを先生に伝えると、先生は少し残念そうな顔をしておられた気がします。
俺としても月1回のレッスンでは非常に心許ないし、ちゃんと通いたいのです。けれど、生活のためには色々あるのです。仕方ない。

***

兵庫県立美術館へ美術展を観に行きました。

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アドルフ・ヴェルフリ(1864-1930)は、アウトサイダー・アートの方です。
アウトサイダー・アートについて少し説明すると、芸術家でない人の作った芸術作品とでも言えばよいでしょうか。欧州で精神病院の患者や受刑者の作品に芸術性が見いだされたものから始まっていて、日本では障害者による芸術作品がそのように紹介されることが多いです。外国では「障害者のアート」というよりは、芸術家を目指したわけでもなく、そのような教育も受けていない人が黙々と製作した作品に美術的価値が認められたもののようです。

ヴェルリフも精神病院に入院していた人で、独自の物語を絵画と共に残しています。

【作品まとめ】異界を旅する人 アドルフ・ヴェルフリ(Adolf Wölfli) - NAVER まとめ

作品を見ていて思ったことは、こういう作品群を作り上げるのは我々が楽器を練習するのと同じなのではないのかなと思ったのでした。

ヴェルフリの作品制作の動機は常に自分の為にある。彼は生前からその作品の価値が見いだされた人でしたが、作品を作ることで芸術の世界で名声を獲得しようだとか、その絵を売って金品を得ようといった目的の為に作られたものではない。(小遣い稼ぎの為に絵を売ってはいたようですが)
全ての動機は自分の世界観を表現することで、それは言い換えるなら、ただ自分を楽しませる為に作品を作り続けていたと言っていいと思う。

自分のような素人で楽器を練習している人間も、なぜそれをやるのかと言えば自分を楽しませる為にやっている。プロになろうとか、誰かに評価されようといったことが目的じゃない。他者のためではなく全て自分のため。特に自分の場合は人前で演奏したいという気が全くない。

アウトサイダー・アートの作品には常人では到底及ばない根気だとか執拗さがあって、そういうものは我々にはないけれどそれは程度の差であって、自分を楽しませる為に何かを作ったり演奏したりするその指向性みたいなものは一緒なのかも知れないなあ、みたいなことを考えたのでした。

Rosin

amazonで注文した松脂がやっと届きました。今までの松脂は落して割ってしまったんですよね。

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注文してから手元に届くまで2週間、しかし長く掛ったよなと思うけれど、それもそのはず国際郵便で中国から届いたのでした。数百円のものを届けるのに飛行機だとか色んな人の手を介しているわけで、当方としては便利だけれど世の中的に見れば無駄なことだよな、と少し反省気味です。

今まで使っていたのはPITASTROのSchwartzという松脂でした。今度のはLETOという銘柄。早速試してみました。

が、そんなに変わらない。というか自分くらいの技量では松脂の質を云々するレベルじゃないってことだと思う。上級者には違いが分かるのだろうけど俺には分からないです。「俺にはこのRosinが合ってる」とか言ってみたい。

Rosin、松脂は、中国語では「松香」と表すみたい。商品名にそう書いてありました

ヴァイオリン教室35回目

レッスンは新しい章に進みました。が、前の章で唯一できない課題があって累積になっています。それは4連のスラー。どうしてもできない。練習してても面白くない。このままではだめだ、やらないと、でもやってても面白くない、他の課題をやってしまう、なので上達しない、の悪循環。
レッスンではテンポを落としてやってみて、ゆっくりならできるということで一応「○」をいただきましたが、もう少し練習はしておきましょうという判定でした。うーん。

シンコペーションというのを習いました。ジャズの用語だと思ってた。

課題曲『花』は今回もぐだぐだになってしまいました。前回途中で真っ白になってしまったので気を付けようと思っていたのが逆にあだになってしまった。「ここで気を付けなければ」と思った瞬間に間違うという感じ。邪念が入るとうまくいきません。


練習後、「質問はないですか?」という先生の問いに「課題曲は練習の時はもう少しうまくできるんです」と弱音を吐いたら「みなさんそう仰います」とのこと。練習ではできていても人の前で誰かに聴かせるとなるとやはり少し緊張があるもので、音楽教室あるあるらしいです。誰でもそうなのか。ちょっと安心した。

ヴァイオリン教室34回目

行ってきました。

課題曲『花』は練習を重ねて結構自信があったのにレッスンではぐだぐだになってしまいました。もう指が憶えているはずのところがすかっと飛んでしまって。先生の前で弾くのにあがっていては仕方ないと思うんだけど、指からも頭からも見事に真っ白になってしまいました。練習不足ってことかなあ。自信あったんだけど。

2月は毎週のレッスンなのでその週に出る課題は控え目なのですが、累積している課題があるのでなかなか前に進まない。古い課題から集中してやるべきか。全部均等に練習しようとすると時間が幾らあっても足りなくて悩ましい。

ヴァイオリンの松脂を落として割ってしまいました。粉々になってしまって。amazonで2月6日に注文したら「21日までに届けます」だって。なんでそんなにかかるのか。
仕方ないので割れた欠片で弓に松脂を擦りつけてます。もうお店で買った方がいいのかも。

ヴァイオリン教室33回目

2月は4回レッスンがあって毎週ある。ありがたいことなのですが、毎週ってのは少々プレッシャーなんですよね。1週間って練習する時間があまりにも少ないでしょう。

今週は課題曲『花』のⅡパートを憶えるのに必死でした。移弦しながらスラーという個所が何箇所もあって、そこで慌ててしまうので中々通して弾けないのです。なのでそればかり練習してました。
そしたらエクササイズの課題が出来なくなってる。もうできそうだからって練習を後回しにしていたら弾くのが難しくなってる。一旦出来るようになったらもう大丈夫、と思ってたけれど中途半端にしか出来てなかったから忘れてしまうんだろうな。ちゃんと物にできてないのに放りだすと劣化するというのが分かりました。レッスンでも当然出来なかった。

そう考えると今までOKを貰ってたところも一回復習してみないと本当にできるのか怪しいかも。しかしそんな暇はないのだ。次のレッスンは来週に迫ってる。せわしない。

 

図書館でCDを借りてきました。
グバイドゥーリナ 室内楽曲集』

ソフィア・グバイドゥーリナ(Sofia Gubaidulina)はソ連出身の現代音楽の人だそうです。聞いた事のない名前だったので手にとってみたのですが、現代音楽の人なら知らなくても仕方ないかと思う。
現代音楽というとクセナキス武満徹くらいしか知らないけれど、それらとは違う感じで、室内楽ということもあるのだろうけど、先に挙げた人達のような如何にも実験的という感じではない。現代音楽というのも色々あるのだなあと思います。
しかし偶々手に取ったものが現代音楽というのは何か縁があるような気がする。最近、委細昌嗣という人も気になっていて、なぜこういうものに魅かれてしまうのかは自分でもよく分からないのです。

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ヴァイオリン教室32回目

レッスンは基本的に月に3回なので、次のレッスンが翌週の時と翌々週の時があるのです。今回は翌週バージョンで、ということは
「次のレッスンまで1週間しかないやん」
なので、毎日そこそこ気合を入れて練習しました。折角習いに行ってるのに今週もできませんでした、では勿体ないから。
その甲斐あってか4連の移弦しつつスラーの課題は思ったよりできた。これはできるようになる気がしない、という感じだったのが光明が見えてきたという感じ。できないと思いつつもやってると理想に近付くものですね。まだ理想には程遠いけど。

テキストは6章の構成で今5章が大詰めという感じになってきました。この先はどうなるのかと思っていましたが、レッスン後に先生が
「もうすぐテキストも終わりですね」と仰ったので
「テキストが終わったらもう教えることはないみたいな感じですか」と応えたら
「次のテキストがあります、まだまだです」とのことでした。
まあそうでしょうね。カンフー映画の見過ぎかも知れません。

カンフー映画で、雑用ばかりやらされた弟子がいきなり師匠から卒業を言い渡されて
「え?技とか教えて貰ってませんけど?」と言ったら、いきなり師匠から技が繰り出されて、意外にもそれを受けることができた。師匠曰く
「あの雑用はこの為の訓練だったのじゃ、もうお前に教えることはない」みたいな展開。

でも、まあ、雑用をやらされてるわけでもないしヴァイオリンだから。