ヴァイオリン教室22回目
行ってきました。先週はお休みだったのに関わらずのこのこ出掛けたわけですが、今回はちゃんと教室に明かりが灯っておりました。第一喚問クリア。
スケール、エクササイズ、課題曲、弾いている内に段々左指のポジションが高くなっているという指摘を受けて修正しているつもりでしたが、慌てるとどうしても治らない。しかし今日のレッスンでなぜそうなってるのか掴めた感じがする。慌てると指を伸ばせるだけ伸ばしちゃうんですよね。初期の指が開いてない時の感覚がまだ残っていて、思い切り指を開かないとそのポジションに到達できないという感覚のまま弾いてる。まあ頭で分かってもそれを修正するには練習するしかないんですけどね。
移弦しつつスラーで弾くのがどうしてもうまくできないという質問に先生からは、移弦するタイミングの問題と最初の音の弦を勢いよく放しているせいというご指導を受けました。てっきりすばやく放さなければならないとばかり思ってた。弦をミュートしながら放すという感じかなあ。しかしそれはかなり難しそう。練習で色々試してみます。
いつも思うんだけど、レッスンで弾く時と家で練習してる時は違う感じがするんですよね。練習では音程が合ってる気になってるけどレッスンになると自分でもずれてるのが分かる。
サイレントヴァイオリンなので家ではアンプ、スピーカーに繋がないで練習してるんです。まあ練習するのは夜だからそうなるのは必然なんですけど。
レッスンの時はスピーカーに先生がつないでくれるので、そのせいかなという気がしています。アンプを通したからって音程が変わるわけじゃないだろうけど、何かが違う気がする。自分の出している音を聴くことはそれを修正するためにも大事だから。
アンプはないけれどサイレントヴァイオリンにはイヤホン端子があるのでそれで聴きながらでも違うかもしれない。これも練習で試してみる必要あり。
交響曲第5番/チャイコフスキー
クラシック専門の中古レコードCD屋に行って棚を見ていると、このチャイこフスキーの交響曲5番のCDが沢山ならんでたんです。色んな人、楽団の演奏が沢山あるということは名曲なのであろう、聴いて見なければなるまい、という感じで手に取った1枚です。
なんか凄いですよね。アホみたいな感想ですけど、なんか凄い。豪奢と言っていいのか、壮麗と言っていいのか、はたまた華麗と言っていいのか、そんな感じ。もの凄く巨大な建築物の中に迷い込んだような感じ。ポップミュージックの楽曲が建売住宅くらいの大きさだとすると、壮大な城郭を見ているような感じ。スケール感が違い過ぎる。
思うに、ポップミュージックで歌手がバックの演奏で歌うのとクラシックの楽団が交響曲といったものを奏でるのは物量が違い過ぎる感じがします。演奏者の数もそうだし、その楽器達、演奏する場所と設備、そして演奏者は研ぎ澄まされた演奏技術を持っているという形や数字では測れない量、全てにクラシックの方がお金がかかってる。
でもクラシックってスタジアムや屋外で何万人も集めて演奏できないでしょう?(そういうコンサートもあるのでしょうか)。CDだって人気歌手みたいにミリオンセラーがバンバンでたりする世界でもないでしょう。原価に対する売上みたいなことを考えたらポップミュージックの方が遥かに効率が高い気がする。経済原理性からいえばクラシックってとても不利な感じがする。逆に大衆音楽の隆盛というのはそういう経済効率の良さみたいなものに支えられているということもあるのじゃないか、みたいなこと考えました。
聴いていると映画音楽みたいでもあります。これは逆で映画音楽がクラシックに多大な影響を受けているということだとは思いますけど。
なんだか『風と共に去りぬ』みたいな昔の大作映画の音楽を聴いているようで、雄大な景色が思い描かれるようなそんな楽曲でした。
今回聴いたのは
ヴァイオリン教室22回目(?)
今週も、のこのこ出掛けました。
教室に就くと部屋が真っ暗で「何で?」って感じでしたが、ほどなくスタッフさんがやって来られて「今日はレッスンお休みですよ」と。「楽器持って何しにきたのかなと思って」とのこと。レッスンのない日にのこのこ出掛けてしまいました。
まあいいでしょう。練習不足の自覚があったので一週間余裕が出来たと思えばいいでしょう。良い方に捉えましょう。立ち飲みでビールをがばがば飲んで帰りました。
いま『エーデルワイス』って曲を練習してるんですが、この曲大好きなんです。映画『SOUND OF MUSIC』で流れていた曲で中学生の時に観てずっと好きなんです。
もうね、自分の弾けなさ加減に腹が立つ。エーデルワイスはこんな感じじゃないだろ!!!ってくらい腹が立つ。もう1週間頑張ります。
ヴァイオリン曲集/J.S.バッハ
以前先生にお勧めヴァイオリニストとして紹介して頂いたパールマンの演奏によるバッハです。
パールマンだから良いとか悪いとかいうのは分からないんです。その辺りはもっと耳が肥えてきてからかな。演奏者の個性を感じられるのは百万光年くらい先の話だと思います。
バッハはバロック、古典派に属するということを付け焼刃の知識で身に着けていて、じゃ聴いてみましょうという感じです。
うーん。なんだか古典っぽい感じがする。そう言われてるからそう感じるだけでしょう。でも古い感じがする。なんだか人間の本性というか原感覚が剥き出しになってるような気がするんですけど。良い意味で原始的で野性的な感じがする。こうすれば聴衆に受けるというテクニックの洗練を受けていない感じがする。多分に「古典派」という言葉に影響されているだけだと思います。
全て「古典派」という言葉に惑わされていると云えばそうなんですが、クラシックって凄い知識が多いじゃないですか。作曲家の生い立ちから歴史みたいなのとか、演奏者の波乱の人生みたいなのまで。その歴史という背景がある。
音楽を聴くのに、基本的には音楽家の半生なんて関係ないと思ってる方なんです。楽曲だけで好きか嫌いか判断したい。何も知らないで聴けるならその方がより正しい判断ができると思ってる。
ロック雑誌なんかでミュージシャンの半生をインタビューでほじくり出して劇的に演出するようなの嫌いなんです。苦節何年なんて演歌だと思うんで。(演歌はそれ込みでエンタメだからいいんです)
でもクラシックは歴史が背景にあって、それも一緒に聴くことになる。まだまだ知識不足ではあるけれど、その内知識は増えてくる。本当は何も知らない状態で聴きたいけど、そうとばかりは言ってられない。それなら逆に音楽と背景の知識も一緒に楽しんだ方がいいのかなという気持ちに最近はなっています。
でも基本的には音楽が主役だから劇的な生涯に惑わされないようにとは思うけど。
ヴァイオリン教室21回目
駄目でした。朝から今日は精神的な調子が悪い日だという実感があった。動悸がしてずっと緊張して不安がこびりついている感じ。完全に精神の不調のサイン。思い当たるふしがないこともないので仕方ないけれどやはり辛い。
レッスンでも全く駄目だった。練習で、できているレベルのことができない。先生は全然練習ができてないとお思いになったんじゃないだろうか。辛い。
なんだか発表会というものがあるらしい。今日の精神状態ではそんなことは考えられない。即答で拒否りました。辛い。
ヴァイオリン名曲集/シベリウス
フィリップ・ネーゲル(Vn)、ギュンター・クリンガー(Pf)の演奏
ピアノの演奏者の記載に「Klavier」と書いてあって、何じゃこれは?と思ってググるとドイツ語でのピアノってことらしいですね。初めて知りました。
何だかヴァイオリンで物語を語っているような感じです。朗読CDなんかで朗読の声と伴奏があるような感じ。ピアノが伴奏でヴァイオリンの音はお話を語りかけているようで、何かの言語のような感じがします。今まで音楽を聴いていて楽器の音色をそんな風に感じたことはありませんでした。でも音楽も何かのイメージを伝えるものなので、ある種の言語なのかなーみたいなことを感じてしまうのでした。
シベリウスは『ヴァイオリン協奏曲』というのが有名なのですね。聴いてみねばなるまい。
ヴァイオリン教室20回目
3週間ぶりのレッスンでした。雨ニモマケズ台風ニモマケズ3週間1日も欠かすことなく練習してまいりました。で、どうだったかというとちょっと褒められました。うーん、先生は生徒をのせるのがうまいですね。簡単にのせられました。
とは云え御指摘がなかったわけではなく、やはり音がちょっとずつずれてる。調子良く弾いてるつもりになってるときほどずれてる。傾向としてはすこしずつ高くなってる。これは毎回指摘されていて、それを治す為にもチューナーで音を確認しながら練習してるんですが、いけてると思ってる時ほどずれてる。慢心はいかんということでしょうか。
課題曲は「まあいいでしょう」的な評価で丸を頂き次の課題曲に進めることになりました。
自覚はあるんですけど、課題曲によって楽しい曲とそうでない曲ってあるんですよね。難しいけど何とかやってやろうと思う時もあれば、やってても「何か楽しくない」と思えるのもあってムラがある。その違いは弾けるようになったら楽しいだろうなと思えるかどうかの違いのような気がします。弾けるようになると「おー俺意外といけるやん」と思えるのがやる気のでる曲です。こういうことは先生には絶対言いません。どの曲にも真面目に取り組んでおります、という顔をしています。ここだけの話